2014年7月22日火曜日

幸せ?

無くなる電車を記録することは、鉄道趣味の根源的なテーマだと言われている。 秩父鉄道で言えば、1000系電車が記憶に新しい。 ところで鉄道車両の一生は様々だ。 30~40年の平均的な寿命をまっとうして解体されるクルマ、第一線を退いてからも支線区や地方私鉄でボロボロになるまで働き続けるクルマ、そして現役を引退してから野ざらしで安住するクルマ… 重機で解体される様は残酷であるが、他方ボロボロになってまで使いこまれるのも酷だという意見もある。 いったい車両にとっての幸せとはなんだろうか、時々わからなくなる。




2 件のコメント:

  1. こんばんは! 
    鉄道車両は生き物ではありませんが、なんとなく『星の王子さま』に出てくる有名な台詞を思い出します。「一度飼いならした(情けをかけた、世話をした)相手には、ずっと責任が生じる」。そこまでの責任を負いきれないのであれば、解体もやむなしという気持ちも私にはあります。

    三峰口の100形電車については大雪の頃からそのずっと傷み方を危惧しています。窓ガラスが割れたり窓枠の破損も見受けられるからです。とうとう草まで生えてしまいましたね。いっそのこと、私は広瀬川原なりの屋根のある庫の中で年に数回だけ公開してくれれば十分とさえ思いますが、秩父鉄道にはそこまでの費用をかけさせるのは酷なのでしょうね(寄付なりボランティアでそれが可能であるというならば、わずかな額でも協力したいものです)。

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  2. こんばんは
    実はこのテーマ、1000系が廃車になる頃から燻っていたテーマでした。
    当時、声高に保存を主張する方はいましたが、後々のメンテナンスまで考えている方はいませんでしたし、中には「秩父鉄道が、鉄道遺産に対して全然理解してないからだ」なんて言い出す輩もいるぐらいでした。1000系なんて、末期になってもオイルダンパの交換やMG・CPの交換まで行われているのに…
    秩父鉄道の社会的使命は、秩父地域の公共交通の確保であるので車両の保存はファンが動いて行うしかないのでしょうが、現状は中々厳しいようですね…

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